ないやんのブログ

夫と小3、小1の2人の息子との4人暮らし。自分は何がすきで何をしていると楽しんだろう。それが分かると幸せです。現在自分が【鳥を目指していたが深海魚だった】ことがわかり目から鱗。コーチングを通して自分の本音が知りたい!コーチングプレイス認定コーチです。

自分を認めることは諦めに似て…

こんにちは“ないやん”です。

私がクライアントとしてコーチと話していて、そして私がコーチとしてクライアントさんと話していて思うのは、

【自分を認めることは諦めに似ている】

ということです。

 

“諦め”というと、ネガティブに聞こえるかもしれませんが、悲しかったりはしません。

「そっかぁ、私にはこれは無いなぁ。一生懸命できるように頑張ってきたけれど、どんなに頑張ってもなれるのは普通ぐらいで、得意にはなれないな。

それでもいっか。もう誰かにまかせようか。自分の力だけでやるのは諦めようか。」

と、【得意では無いことを手放す】のが一つ。

 

もう一つは

「どんなにやめようとしても、やっちゃうんだよなぁ。私、ここは好きじゃないと思ってるけど、いっつも出てくるなぁ。もういっか。それをしないように、自分を戒めるのはやめようか。もう出しちゃぇばいいじゃない。それが私何だから」

と、【ついつい出てくる自分の嫌な所も出してもいい、と手放す】のがもう一つ。

 

一つ目のことは例えば、私は大勢の人の中にいるのが苦手です。何を話したらいいのか分からないし、楽しさよりも緊張が大きく、疲れてしまいます。

だから、そういう場に頑張って行くのは諦めた。

だけれどやはり人と知り合いにはなってみたいので、まずはオンラインで知り合った人とか、興味あるテーマが同じイベントとか、

できるだけテーマがあって、全くの初見じゃなかったり、大勢でない場を選んだりしています。

 

2つ目は、私はストレングスファインダーでいう、“内省” “慎重さ”などがあって、すぐにぐるぐる、あーでもないこーでもないと考えがち。

好きじゃない。もっと即決とかキビキビとかサバサバとかそういうのが理想。

けれど、考えないで行動するなんて無理!

考えてしまうんだもの!

だから、【考える自分を良し】としました。

考えてもいい。ぐるぐるしてもいい。

そう思うと、自分責めがなくなっていきます。

いーじゃん考えても!考えて、考えて、考えたらちゃんと動くから、少し私のペースで行かせて。

と自分が自分に言っています。

 

「あーまた私やってる、、苦笑」

と自分を横から眺める感じ。そんな自分を見て、かっこいい自分は諦めて、それでも「ま、いっか」。私は私だからねー、と思っています。

 

諦めて手放すと、ちょっと元の自分に近くなって行く気がします。

 

自分を認めることは諦めること。そしてちょっとずつ軽くなっていくこと。

といってもそんなに簡単ではないですがー。

息子の始業式

こんにちは”ないやん”です。

今日は4月8日月曜日。
こどもの小学校の始業式でした。

我が家の小4の息子は、学校に行きたいくない…!と言って3月ぐらいから朝8:30の登校が難しくなってきました。

なだめたり、すかしたり、話しをしたりしながらで、大体は行ける。でもたまに行けない。そんな感じです。

特に月曜や学期始めは難しいです。
だから学期始めの今日は行けるかな…、とずっと気になっていました。

去年の始業式は、息子はランドセルを背負って下駄箱でみんなが教室に向かう中、周りに誰もいなくなるまで、10分、15分ぐらいだったのかな、ずっとその場にいました。

私も仕事だったので、「お母さん、もう行くよ」と言うと
頷いて、上履きに履き替えたのですが、それでも私が見えなくなるまで息子はずっと私の方を見ていました。

今でも思い出すと心がぎゅっとします。

今日は、大丈夫だった。
下駄箱で手は繋いだけれど、最後は自分で離して「じゃあ」と言って行きました。

帰って来てからどうなのか、明日はどうなのか、それは分かりませんが
ひとまず今日はよかった。

ただただ安堵。息子の健やかな成長を願うのみの朝なのでした。

やれます!!と手を挙げるのが苦手なんだな

こんばんは“ないやん”です。

引き続き、4月から始まった子どもの小学校の役員のことをやっています。

やっている、といっても私の係は役員の中では大変では無い方で、”長”の人は大変です。まるで仕事か!!というぐらい時間もやることも多いらしい…。

そして役員のやり取りの中で、今日は会長さんから「助け欲しい。口だけじゃなくて色々進める気があるのなら、一緒にやってほしい!」という悲鳴のようなメッセージが。

会長になった人はくじ引きで決まりました。だから誰もが会長になる可能性があった。だから私も、会長になってヒーヒー言っていた可能性は大いにある。

だからできる事は協力したいのはやまやま。

それなのに「できることは協力します!」の一言メッセージを送るのに1時間近く考えてしまった。
そして送った後も、何だか緊張しています。(何にもしていないのに、何かを頼まれた訳でもないの、すでにもう若干具合が悪い)

 

”協力できることは協力したい!”と思っているのに、なぜすぐに「やります!」「できます!」と言えないんだろう。

この気持ち、前にもあったな。

そう、仕事で「ないやんさん〇〇の仕事をやって欲しいんだけどできる?」
そう言われたときに「できます!」って言えなかった。
たぶんできると思うけど、でも数%はできないかもしれない。
できます!って言ってできなかったらどうしよう。
だったらできるって言わない方がいいんじゃないか。そう思って悶々としました。
きちんと覚えてはいないですが、その時は結局「できる」と言わなかったのかもしれない。

今回たかだか小学校の役員なのに、困っているいる人がいるのに、やりたい気持ちはあるのに、それなのに「やれます!協力します!」ってササっと言えない。

ササっと言えない自分にひどく落ち込みます。

何でなんだろう。

・”やれる”と言ったら、ぜったいやらなくてはいけない
(後で”やっぱりできませんでした”という選択肢が自分には無い)

・できなかったときに、誰かに聞く、誰かに助けてもらうという選択肢を持っていない

分からなかったら聞けばいい、ということができないから「やれます!!」というののハードルがっ物凄く高く感じるのかも…。

あとは

・無理やりでも何とかする!という気力も体力も無い
 …のかもです。自分で言って残念ですが。

こう書いていて、色々残念だな…自分。と思います。
この自分を認めた方がいいのか、人に頼ることに挑戦して「やれます!」という自分の心理的ハードルを下げるのがいいのか。

どっちもな気がします。

今回の役員では先ほど
「協力します!」
と言ってしまったので、自分がどうなるのか実験、観察してまたご報告します。

【思ったより何とかなった】となるのか【やっぱり言わない方がよかった】なのか。

どこまでできるのか、緊張です。

新しいことをする時間が無い!

こんにちは”ないやん”です。

最近春になったからなのか、何か新しいことをしたいなぁと思う熱が自分の中で高まっています。

何かを学んだり、人と会ったり、考えたり。

けれどとにかく時間が無い!今あることで手一杯で、
「何かを手放さなければ新しいことができない!」という気持ちに!

では何を手放せばいいんだろう…。

ずっと思っているのは“週5で働いている仕事”を手放したい!
少しでも減らせば、時間が出来て何か違うことができるのに~~。

その思いを今日コーチと話していました。

結果…。

現状今の会社で働く日数を減らすのは難しい。
ではあたしい仕事を探す?
その気力もない…。
収入が減ったりしたら、それも気になるし…。

今日は4/1。新年度も始まりイレギュラーなこともいっぱいです。

・小学校の役員
・自分の部署異動
・子供が学年が変わりクラスに馴染めるか
 (最近学校も学童も行きたくない、と言っています; ;)
やりたい事、というより、やる必要がある事が目の前にいっぱい!!

うーーん、どうしよう…。

 

時間ができたら私、何がしたいんだっけ…。

何か、新しいことしたい!

・勉強 とか、
・考える とか、
・新たな人と会う とか。
→そこから新しい発見がしたい!

ここまでコーチと話して、
「でも…、とにかく4月は目の前のことを一つ一つやるしかないですよね~」
「うん、うん」
ということになりました。

けれどそこから!

【新たに時間を作るのではなくて、新しいことをするやり方あるのでは?!】と。

よく考えたら、目の前の“やらなきゃいけないこと”って、
・新しいこと で
・一個一個考える必要があること で
・否応なしに新しい人出会うこと 
じゃない!!??

私は“新しいこと”の定義を、“自分のやりたいこと”に限定してました。
自分がやりたい、新しいこと、だったら、今とは別に時間を作らなければできない。

でも、もし“新しいこと”が、すでに目の前にある“やらなければいけないこと”だったら?
やるしかないのだから、新たに時間を捻出することでは無い。

既に組み込まれていることで、何か新しい発見ができるんじゃない!!??

わーーー!発見!みつけちゃいました~。

 

やらなきゃいけないことは、ここ数日ずっと「やりたくないな~」と思ってました。

嫌々だけど、やらなきゃいけないカテゴリーでした。

でも!
もしかしたらこれは【強制的に新しいことができる機会】なのでは!?

 

こじつけですかね…。かもしれない。でもそう考えるとちょっと楽しくなってきました。

ついさっきまで、できるかなぁ。嫌だなぁ。やりたくないなぁ。って思ってたのに…。

 

まずは目の前のやらなきゃいけないことの中から【新しい発見!】を探してみよう。
今はそう思っています。

自分のいる場所を選んできたんだな

こんばんは“ないやん”です。

年度末ですね。
4月からは仕事で新しい事をしたり、こども達は新学年になったり、
変化がある方も多いのではないでしょうか。

私は4月から子どもの小学校の役員をすることになり、
初めての経験で既に引継の時点でアップアップです…!

ほとんど面識がない方と、一から関係性を作りながら
大勢の人と物事を進めていかなければならない場面に
久しぶりに
「あーー、私こういう場、得意じゃなかった…!!」
と思い出しました!

LINEで連絡を取り、やることを一つ確認する度に、
『大丈夫かな?どう思われてるかな?どこまで言っていいのかな…』
と、いちいちグルグル考えてしまいます。

その度に、「そうだった!私ってこうだった。慎重で臆病で心配性だったぁ!」
と思い、苦笑い。

逆に、最近なぜこの自分本来の【慎重】で【自分のペースが大事】な資質を
あまり気にしないで生活していたんだろう?
と考えてみました。

そうしたら“自分で半分無意識、半分意識的に自分のいる場所を選んできた”んだな、と。

例えば会社での仕事は、分からない事以外は基本的に1人で進められることが多いです。
期日はあるけれど、突発的なことは少ない。
コツコツ淡々と進められる。

個人でやっているコーチングのコーチも、誰か周りの人と調整して仕事を進める、という事は無いし
基本的にはクライアントさんと私の一対一の関係性です。

周りの人も、夫や私がコーチングを受けているコーチも
私の【慎重さ】【規律性(ルーティンが得意)】の良い面を見てくれることが多い。
私の
・きっちりしている(裏を返せば確認が多い、くどい)所や
・先のリスクを見る(逆にみれば心配性で事前にかなり先のことまで言う)所、
・1人で物事を進められる(マイペースで大勢で何かするのが苦手)。
・こつこつ続けられる(臨機応変、突発的な事が苦手)

などのどちらの面から見てくれることが多いのか。
最近はありがたい事に、できるだけ自分の特性を“いいな!”と
思ってくれる人の近くいるようになったのだな、と。

それはもちろん、人との、仕事との運も大きいと思います。

けれどそれと両輪で、自分でも少しずつ自分を知って、
自分が少しでも楽な方、自分が活かせる方を選んできたし
できるだけ相手にも、
「私はこういうのはできて、こういうのは得意ではありません」
と伝えてきたのだと思います。
伝えることの一つ一つが、自分の居場所を居やすい場所にしてきたのだと思います。

それは私一人ではできなくて、相手が、周りが、伝えていいよ、自分を出していいよ、
と私に伝え続けてくれていたからで、その事についても感謝です。

ちょっとずつ、自分の心地よい方へ。
自分で選んでいきたいと思います。

コーチングで話したことはすぐにではないかも知れないけれど…

こんにちは”ないやん”です。

コーチングって即効性はあまりないのかも知れない。

それに1時間のセッションで、毎回何かすぐに答えが出ないことも多い。

それでも…、やっぱりコーチに話した事って、ふとした時に自分から形として出てきたりするんだよなーと思います。

私はセッションでコーチに話したこと、コーチと話したことを、胸の下の方に温めていて、常に意識している訳ではなのだけれど、でもたぶんずっと気にはなっていて、自分の”考えるテーマ”としては認識していて、何か関係ない無い時でも
「あれ!?これってもしかしたら、ずっと考えてたことのヒントになるかも!?ピコんッ!!」
と思ったりすことがしばしば。

あとは、コーチに何気なく
『これ気になってるんですよね』
『ここが好きなんですよね』
『こうなったらいいなーって思います。まぁならないけど…』
と言っていたこと。
絶対やるぞ!という強い目的や目標ではなくて、
でも自然と自分から湧いた気持ち、
例えば”やってみたい”という小さな小さな願望とか、
”これ本当はやりたくない”という今まで人には言ったことの無い我とか、
”分からないけど、好きだな”って思うあいまいな感情とか、
そういうのをポツポツと話していると、半年後、1年後、何年後か
それをやってみたりしている自分がいる!びっくり!

不思議なんですよね。
口に出したことだから、自分が思っていることに間違いはないのだけれど、
その時はそこまで重要じゃなかった物事。

だけどふと気づくとやっている。
やっていて、そういえば、私、随分前に『やりたい』あるいは『やりたくない』
って言ったかも!!

だから、思うがままに思った事を言葉に出すことっていい!

その時は輪郭がなくても、いつか輪郭を持つこともある。
それでいい。
でも、輪郭がないからって口から出さないでいると、それが輪郭を持つことはないのかな…、と思ったりします。

私は自分の中で思っていたことはたくさんあったけれど、
口に出すことはしてこなかった。

そんな場もなかったし、そんなに口に出す程大層なことも無い、と思ってた。

けれどコーチングを始めて、自分の思いに”大層と大層じゃない”のラベルを付けるのを辞めました。(嘘かも…。厳密にはラベルをつける基準を緩やかにした、かな。)

気持ちは在る。そしたらぼんやりとした気持ちでも、言ってみるのがいい。

そうしたら、すぐにではないかも知れないけれど、その気持ちの方へ行く。
気付いたら、やってた…!
みたいな。

 

中々人に話さない私が“そう”なので、みなさんならきっともっと進むかも。

そう思いました。

大義名分はいらない?!②

おはようございます“ないやん”です。

先日、【大義名分はいらない?!】というお話しを書きました。


私は結構浅はかで、ミーハーな所があるのに、それを認めずにその気持ちに大義名分を付けたがる。
けれど自分の”浅はか”な所を認めて、大義名分をつけずに、
“これいいじゃん!”
で動いてしまえばいいのでは!?
でもそれってどうなの!?

という内容です。


そのことについて、X(Twitter)で呟かれていた事で
「これじゃない!!??」と、とても共感&発見!したことがありました!!

それがこちらです。

私が自分を浅はかだな、と思っている一つはこれかも知れない!

『好きなんだけれど、語れるほど詳しくはない。だからそんなのを好きと言ってはいけない。やりたいと言ってはいけない

と思ってきたのではないかと…!

だけどもしかしたら、“好き”は“好き”だけでいいのかも知れない。

好きだなー、楽しいなー。詳しくはないけど、心がわくわくフワフワする。
それでいいのかも知れない。

そこを原動力に動いていったらどうなるんだろう。

そこを原動力に自分が盛り上っていけたらどうなるんだろう。

興味深々です。