こんにちは“ないやん”です。
私がクライアントとしてコーチと話していて、そして私がコーチとしてクライアントさんと話していて思うのは、
【自分を認めることは諦めに似ている】
ということです。
“諦め”というと、ネガティブに聞こえるかもしれませんが、悲しかったりはしません。
「そっかぁ、私にはこれは無いなぁ。一生懸命できるように頑張ってきたけれど、どんなに頑張ってもなれるのは普通ぐらいで、得意にはなれないな。
それでもいっか。もう誰かにまかせようか。自分の力だけでやるのは諦めようか。」
と、【得意では無いことを手放す】のが一つ。
もう一つは
「どんなにやめようとしても、やっちゃうんだよなぁ。私、ここは好きじゃないと思ってるけど、いっつも出てくるなぁ。もういっか。それをしないように、自分を戒めるのはやめようか。もう出しちゃぇばいいじゃない。それが私何だから」
と、【ついつい出てくる自分の嫌な所も出してもいい、と手放す】のがもう一つ。
一つ目のことは例えば、私は大勢の人の中にいるのが苦手です。何を話したらいいのか分からないし、楽しさよりも緊張が大きく、疲れてしまいます。
だから、そういう場に頑張って行くのは諦めた。
だけれどやはり人と知り合いにはなってみたいので、まずはオンラインで知り合った人とか、興味あるテーマが同じイベントとか、
できるだけテーマがあって、全くの初見じゃなかったり、大勢でない場を選んだりしています。
2つ目は、私はストレングスファインダーでいう、“内省” “慎重さ”などがあって、すぐにぐるぐる、あーでもないこーでもないと考えがち。
好きじゃない。もっと即決とかキビキビとかサバサバとかそういうのが理想。
けれど、考えないで行動するなんて無理!
考えてしまうんだもの!
だから、【考える自分を良し】としました。
考えてもいい。ぐるぐるしてもいい。
そう思うと、自分責めがなくなっていきます。
いーじゃん考えても!考えて、考えて、考えたらちゃんと動くから、少し私のペースで行かせて。
と自分が自分に言っています。
「あーまた私やってる、、苦笑」
と自分を横から眺める感じ。そんな自分を見て、かっこいい自分は諦めて、それでも「ま、いっか」。私は私だからねー、と思っています。
諦めて手放すと、ちょっと元の自分に近くなって行く気がします。
自分を認めることは諦めること。そしてちょっとずつ軽くなっていくこと。
といってもそんなに簡単ではないですがー。