こんばんは”ないやん”です。
今日も発見しました!
知らないこと、初めてのこと、分からないことに出会ったときの反応についてです。
私の息子(小1)は、何か知らないことを目の前にすると、
「もうできない!分からない!…何をしていいのか分からない!」
という風になり、思考が止まるというか、パニックまでとは言わないですが、何をしていいのかが分からなくなって、次に進まなくなります。
それを見ていて夫が、なぜそんな風になるのかな?と純粋に疑問、という感じで言ったので、私は
「息子の気持ちが分かる。私もそう。だって初めてこととか、知らないことを目の前にすると、それだけで頭の中にサイレンが鳴る感じ。emergency!emergency!って警報が鳴り響いて、どうすればいいか分からなくなる…!」
と答えたところ、
「え!?そうなんだ~。だったら息子の反応も理解ができるかも」
と言いました。
私からしたら、逆に
『え!?みんなそうなるんじゃないの!?違う人もいるの!?』という気持ちです。
夫に聞いてみたところ、
知らない、ということだけだったら、別に警報は鳴らない。”単に知らないから、ちょっと面倒だな。どうしようかな。どうしたらできるかな”と思うだけだ、と。
私はそれを聞いてびっくり!!
私はあまり事柄の大小や、重要度に高低に関わらず、”知らない”ということだけで警報が鳴ります。知らない!マズイ!どうしよう!どうしたらいいの!(泣)
だから毎回ビクビクで、あまり新しいことは無い方が良くて、できれば手順が決まっている方が良くて、期日も余裕があるものがよくて、ぶっつけ本番じゃない方がいい。
けれど、言われてみれば”知らない”ということだけだったら、もしかしたら警報を鳴らす必要が無いこともあるかもしれない。
私の中では昨日まで”ただ知らない”という出来事は存在しなかった。
”知らない=脅威”だった。
けれど、今日から知らないことに遭遇して、自分の中で警報が鳴ったら、一旦
【警報が鳴ったけど、これは”脅威の知らない”かな?それとも”ただの知らない”かな?】
と自分に聞いてみることはできるのかも知れない、と思いました。
知らなかったら即警報を鳴らすのではなく、鳴ってしまってもそれに逃げ惑うのではなく、
『警報鳴っているな。これは自動的に押されてしまったものかな?もしかしたら誤作動かもな。知らないけれど、一旦警報を止めて、どうしたらできるかを考えてみよう。考えても分からなかったら知らべてみよう。調べて分からなかったら聞いてみよう』
と思えたら、少し違うかも知れない。
兎に角、私は【”知らない”をemergencyに結びつけてしまいがち】なんだ、ということを認識し、けれどそれは誤作動の場合がある、というのも知っていると、もしかしたら少し何かが変わるのでは…。
忘れずに試してみようと思います。