おはようございます”ないやん”です。
最近、楽しそうにしている人っていいな!と思います。
楽しんでいる人をみるとこちらまで嬉しくなります。
でも自分だと【どうして自分が楽しくなるのを躊躇うんだろう?】
最近私はマンガのスラムダンクにハマっていて、
スラムダンクが面白いばっかりに、関連のTwitterを見たり、本を読んだり、映画館へ行って映画を見たり、YouTubeを見たり、ラジオを聞いたり、かなりの時間をそこに費やしています。
スラムダンクと関係している時間はめっちゃ楽しい。
でも実は後ろめたくもある…。
なんと言うか、何かになっていないのではないか…こんなに時間を使って(仕事と最低限の家のことはやっていると思うのですが…それでも)いいのだろうか、浮かれすぎなんではないだろうか。夫にはスラムダンクの話しばっかりしているので、そろそろうるさいと思われるのではないか…、と思ってしまいます。
そこで夫に聞いてみました。
『最近私浮かれてるじゃん?見ててどう?ちょっとどうかと思う?』と。
すると夫は
『前はいろんなことができない…と言って泣いてたり、大変そうだった。
でも最近は楽しいことをやろう!としてるし、楽しそうだし、そっちのほうが全然いいと思う』
悲しそうだったり、大変そうだったりしているより、楽しそうにしてくれている方が断然いい!と思っていたみたいです。
勝手に後ろめたかったけれど、『そっかぁ、そう思っていてくれていたんだなぁ』と気付きました。
自分のことになると、どうしても体裁というか、勉強していたり、こどものことを考えていたり、そういう自分は胸を張って認められるのだけれど、自分の趣味みたいなことは中々認められていないな。
でも確かに、今自分がしていることを、”子どもに置き換えてみたら”、私も夫と同じことを言ったかもしれない。
嫌だ嫌だと言って宿題をしたり、夜寝る時間だから寝るよ~と私に言われて渋々布団に入る子が、何かハマることをみつけて
宿題はやらないけれど、とっても楽しそうにそれについて話したり、自分で動画みていたりしたら?
寝る時間になっても中々寝なくて、心配にはなるけど、やりたいこと、やってみたい事がありすぎて、まだまだ寝たくない!って言ったら?
私だったら後者の方がうれしい。自分で楽しんでいてくれることがうれしいし、そういうものに子どもが出会えたことがうれしい。
自分以外の人に置き換えれば、心から応援できるのに、自分は自分を応援できないのは何でだろう…。
【まずは自分が自分の一番の応援者になる】
そこからですね。
自分を応援できてやっと、人も応援できる気がする。